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  • 執筆者の写真Aiko Sada

基礎研究は役に立つ?

基礎研究者として、基礎研究をやる意義、価値について、学生の頃から考え続けている。


まとまらないが、今の自分なりの考えを書きたい。


まず一口に基礎研究といっても、分野や個々の研究者のスタンスによって、違いは大きい。


私の理解で、分かりやすい例を挙げると、

(もちろん医学系、理学系と白黒分けられるものではない)


医学系の基礎研究者:現在の知見では治らない病気を治すために、時間はかかるが基礎的な研究を進めることで、将来的により多くの患者を救う。自分の研究が、すぐに役に立つことにつながるとは思ってなくても、「この病気を治したい」といった遠いゴールはある。


理学系の基礎研究者:「知りたい」「面白い」と思う好奇心に従い、学術的な新規性、面白さ、重要性の高い研究を目指す。将来的に、人や社会の役に立つ可能性はもちろんあるが、そこをゴールとしてやっているわけではない。モチベーションは応用・実用ではなく、好奇心と学術的価値。自分が面白くてたまらないという現象を夢中で追い求め、貪欲に真理を追求していく。


ちなみに私は、理学部生物系の出身で、スタンスとしては完全に後者。


後者の人に、「この研究は何かの役に立つんですか?」と聞くと、「いや、私の研究は何の役にも立ちません」と答える人が多いであろう。


もっと言うと、基礎研究は長期的に見ていつかは「役に立つ」からやるべきだと説明されることに、抵抗がある人も多いんじゃないかと思う。私も、基礎研究に対し、「役に立つか」「役に立たないか」という物差しで測るべきではないと個人的には思う。


一方、研究者ではない人が想像する基礎研究者の姿は、前者ではないだろうか。「私の研究は何の役にも立ちません」と答える私に、「でもこの研究は、遠い将来、人類の役に立つんですね。基礎研究は大事だと思うので、頑張ってください。」と多くの人から応援してもらっている。


後者の基礎研究は、一見すると、どこへ向かっているか分からない。


基礎研究者の純粋な好奇心にドライブされた目的型ではない研究活動が、世界中で、どのように進められ、発展してきたのか、どんな価値があるのか、研究活動に携わったことのない多くの人には理解が難しいだろうし、私自身も上手く説明するのが難しい(親や夫にさえ、基礎研究の価値は、あまり伝わっていない気がする)。


ただ少なくとも私は、「この研究は何の役にも立ちません」という言葉で、誤解を生まないようにはしようと思うし、基礎研究者として、科学の大切さ、面白さを、もっと広める義務はあると感じている。


基礎研究は、以下のような理由で、重要で、価値があり、必要である。そして、社会、人類の役に立っていると思う。


①基礎研究は、役に立つときもある。


基礎研究はときに、研究者自身の思惑とは全く関係ないところで、ブレークスルーとなり、社会を大きく変える可能性を秘める。将来のイノベーションは、どこから生まれるか、誰も予想はできない。その種を蒔いた最初の人は、基礎研究者であることは、実際多い。


②基礎研究は、応用的な意味で「役に立たない」研究であっても、学術的な価値は大きい。


基礎研究の成果は、日本の知的財産であり、将来への投資である。国力の指標でもあると思う。


基礎研究は、世界的に見ると、過去から未来へつなぐ人類の知の遺産である。自分の行っている研究は、世界中で行われてきた過去の多くの知見の上に成り立っていて、今の時代を生きる他の研究者と切磋琢磨しながら前へと進める。自分の研究は、未来の研究の基盤になり、バトンは続いていく。これが研究活動であり、基礎研究そのものに学術的価値がある。


学術的にどれくらい価値が高いかを決めるのは誰か?論文や研究費の申請書を始め、研究の価値は、Peer reviewという専門家同士の厳しい相互評価によって判断される。それ故、個々の研究者の好奇心にまかせても、「ただ好き勝手、研究者がムダなことをやっている」という事態にはならない。そもそも、基礎研究者が「好きなことをやっている」と言っても、そこには専門家としてのビジョンや戦略、直感があるので、文字通り好きなことをやっているわけでは決してない。


③基礎研究は、知的欲求に答える。そして、人々に夢や希望を与える。


娘を見ていると、本当に好奇心旺盛だ。「これは何?」「これはなぜ?」と聞いてくる。知りたいという気持ちは、人間の本能だとつくづく思う。


「なぜ空がなぜ青いのか?」を追求し研究して何の役立つかは想像しづらいが、「なぜ空がなぜ青いのか?」に「◯◯だからだよ」と、子供に答えられるのは、先人たちが行った研究のおかげだなと胸が熱くなる。


テレビをつければ、不思議に答える科学番組も多く、楽しんで見ている人も多いだろう。例えば、NHK番組「チコちゃんに叱られる!」などを見ていると、基礎研究者である私ですら、「こんな研究をやっている人がいるのか・・・」と思うが、面白いし、感心する。


そして、基礎研究者の真っ直ぐな生き様は、人を感動させ、夢を与える。実際、基礎研究者のノーベル賞受賞のニュースは、多くの人の心を動かしている。私も幼い頃、研究者に憧れた人間の一人である。


④高度な研究活動は、優れた人材を育てる。


大学は、研究機関であるとともに、教育機関である。大学で一緒に研究をしている学生は、日本や世界の未来を作る貴重な人材である。優れた人材は、社会の財産になる。


ゼロからイチを作る。世界で誰もやっていないことを、一番最初にやる。このような活動は、研究に限らず、あらゆる能力と高いスキル、精神力を求められる。


高い研究遂行能力を持った人間は、アカデミアに残っても残らなくても、社会を変えていく原動力を備えている。これから来るAI時代に、真の研究能力を持った人材のニーズは高まると予想される。


私は、遺伝研やコーネル大学の高いレベルの研究環境に身を置くことにより、磨かれ、変わったと思う。逆にいうと、研究環境が悪くなるほど、研究のアクティビティが下がるほど、世界トップの水準からはかけ離れ、真に特別な人材は育ちにくいようにも思う。


⑤基礎研究をできるのは、世界でも一握り。


最後に。


私は日本に生まれ育ってきたから、自分の周りにあるものが当たり前と思ってきた。日本社会の色々なことに問題意識や不満を持ち、日本の息苦しさに悩んできた。


ポスドクとしてアメリカに留学したとき、色んな国の人から、母国のあらゆるレベルの課題や現状を耳にし、正直ショックを受けた。


日本には独特の苦しさがあるし、苦しんでいる人も多いので、一概に日本人は幸せだ、と言うつもりは全くないが、私自身は、日本を外から見たときに、日本の恵まれている面に気付かされた。そして、それは長い時間をかけて構築してきた国のシステムや税金、教育、多くの人の努力に支えられているのだと思う。


基礎研究は大事。ただ、先進国と呼ばれる国でも社会問題は山積みで、その中で基礎研究へ投資する余力のある国は、世界で見たらほんの一握り。世界中の研究者が、基礎研究への資金不足を嘆いている。


日本の研究環境は、今本当に厳しいし、若手研究者として未来が見えなくて辛い。アメリカと比較したときに、大きなギャップがあり、解決すべき問題も多い。このままでは、日本の研究が衰退していく危機を切実に感じ、研究者が研究に集中できる環境を心から求めている。


でも、目の前に直面する多くの社会問題と天秤にかけながら、未来を見据え、基礎研究に国の貴重な財源を投入してもらっていることへの感謝は忘れないようにしたい。そして、今の自分にできることは、とびきり面白いことを発見できるよう、自分を信じ、研究を楽しみながら、一つずつ前に進むことかなと思う。


佐田


(本ブログ記事は、私個人の意見であり、所属組織や研究者全員の見解を示すものではありません。)

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